担降りをする勇気が出ない
どうもこんばんは。せいるです。
題名の通り、ちょっと重いお話をします。
初めて担当と呼べる人ができたのは2014年1月。三宅健くんだった。
2015年4月。WESTが踊る姿の映像を初めて見て、惚れた。
悩みながらも担当を藤井流星くんと決めた。掛け持ちを始めた。
2016年2月。半年ほど布教され続けた超特急に目覚めた。とうとうジャニーズ以外に手を出した。超特急を見始めてずっと気になってた船津稜雅くんにどっぷり浸かった。
2016年8月。興味本位で行ったSLT魂でまんまとA.B.C-Zに落ちた。
いつからか河合郁人くんが気になってたから河合くんは4人目の好きな人になった。
2017年4月。滝沢歌舞伎で予想以上に宮舘涼太くんを目で追ってる自分に気づいて焦った。(この話は後日します)
好きになった瞬間だけを集めたらこうなった。でも、いつまでも好きな気持ちが続いてる訳じゃないって気づいてた。それに目を背け続けてる自分がいる。
V6もWESTも、担当を決めるのに悩んだ。先にグループを好きになったから。グループのパフォーマンスに惚れたから。グループみんなで話してる姿を好きになったから。
特にWESTは本当に悩んだ。流星くんに決めた決め手を私は覚えていない。
超特急を好きになって、初めてグループより先に個人を好きになる経験をした。
そして河合くんを、A.B.C-Zを好きになった時、私は疑問になった。
健くんと流星くんは、私にとって担当って言えるほど好きな存在なんだろうかと。
そして気づいてしまった。担当まではいかない存在なんじゃないかって。
特に流星くんは自分が担当って全然言えないことに気づいた。なんでもっと早く自覚しなかったんだろうって思うくらい。明確に。
好きなところって考えても圧倒的に思いつけないことを知った。
今思い返してみればラキセ魂でもなうぇすと魂でも、もぬけの殻になるところまで気持ちが高ぶってない自分がいた。
そしてちょっと話がそれるけど。
私は意図的に過去のWESTの姿を知るのを避けていた気がする。
WESTが元々4人でデビューする予定だったのが7人でデビュー出来るようになった話。最初は格差があったけどだんだん平等になっていった話。
好きになったんだから自由にその話に触れて良かったと思うのに。その頃の辛い話を新規の自分が容易く触れられないって思って避けていた自分がいた。
Jr.時代のWESTに触れようとしなかったから遠征を諦めた24魂のレポを見ても心は悲しくならなかった。
流星が泣いた…!って何回もTwitterで見たけど。感情移入できなかった自分がいた。
思えばずいぶん前からWESTは私の中で遠くから応援するので十分な存在だった。
V6はちょっと違う。好きになったばかりの頃に比べたら落ち着いてる気もするけど、6人の姿が大好きな自分は確実にいるし、三宅健って存在が好きな自分もいる。
でも、他のV6担のみなさんのように自担にデレる事がない自分に気づいた。
健くんの事は好き。人として好き。でもなんか担当って言うのも違う気がする。これからも応援するしし続けたいって思うけど。ちょっと言葉にしずらいけどなんか違う。
でもまだ人前で、降りたって言えない自分がいる。
認めたくないんだろうか。好きって気持ちが一過性のものだったことに。今まで担当って思ってきた人達は、そもそも担当って言えるほどの存在じゃなかった事を実感したくないんだろうか。
担当なんて自分で勝手に名乗るものだからもっと気楽になればいいのに。変に悩んでる自分も嫌だ。
でも例え降りたって、グループが好きだから、きっと現場には行くんだ。もっともっと大きくなって欲しいから円盤も買うんだ。
でもそれって降りてないんだろうか。
もう分からない。考えれば考えるほど分からない。
結局文章に起こしてみたところで何も変わらないけど。今の気持ちを残しておきたかったのでブログに上げることにしました。
結論を出したいと言うよりかはそんなしがらみを考えずにオタ活ができるようになりたいってひっそり思ってます。
なんかただの考えすぎなだけな気もするけど。(小声)
では今日はこの辺で。